2010年 05月 25日
4年ぶりの更新! 6年前にワーホリでオーストラリアへ来て、4年前にオーストラリアへ移住。ケアンズからゴールドコーストを経て現在はシドニー在住です。 そんな私たちにとうとう永住権のチャンスが訪れました! 今までは多分ダメだろうなと思ってましたが、数ヶ月前にポイント審査をしてもらったらパスできるかもと教えられたんです。 オーストラリアの永住権はポイント加算方式で合否の目安がすぐに分かるので、とっても親切!(他国はどうかわかりませんが) そのラインより上に現在の私たちがいるという状況を教えられ、ボスにも挑戦してみたらという勧めもあって、審査を受けたんです。 もし審査が通り、永住権を取得すると選挙権以外はオーストラリア人と同等の権利をもらえる事になります。それは社会福祉だったり医療だったり。 今まで海外生活者のための保険には加入していましたがかなり高額。さらにビザが切れたらと言う不安とスポンサーがいなくなった時は帰国という恐怖。それが一気に解消されるんですから絶対に欲しいんですよー。 と思っていたら今日、結果が来ました!! 見事に2人揃って合格!永住権取得しましたぁ!! 5年ごとの更新は必要ですが、晴れて日系オーストラリア人になっちゃいました! 長かったオーストラリアにとってのゲスト生活から住人に変わったんです! これは報告しないと、と思ったらみんなオフライン・・・起きてない??・・・ なので久しぶりのブログ更新で報告してみました! んちゃ★ #
by aya_kei
| 2010-05-25 00:45
| その後
2006年 09月 04日
帰国して10日が経ちました。 2年ぶりの東京はやはり分からないものばかりで完全な漂流者です。 ユダさんが帰国した時に、ゲームセンターのダンスするゲームを見て愕然としたと言ってましたが、私の場合は洋服の流行に完全に遅れています。友達がお帰りパーティーを開いてくれたんですが、みんながカワイイワンピを着ている中で、ジーパンにTシャツという私の中でのまともな格好で行ったら「何これー」と散々中傷されてしまいました。ちょっとは落ち込んだけど、なんか服装なんてどうでも良くなってる自分もいて、やや混乱状態です。 WIREでのオフ会は楽しいの一言です。 もうみんな優しすぎでトロけそうになりました。帰国前に姉さんが「みんな旅の空を知ってるから安心して」と言っていた意味が分かりました。帰国後の不安をみんな経験しているから、アドバイスが私の不安の本質をズバズバと突いてきて、なんかスッキリした感じです。それとユダさんが「あやケイ財布」というのを作ってくれて、私たちにお金を使わせまいとしてくれた事に本当に感謝しています。姉さんに聞いたら、ユダさんは帰国後に工場で働いて当面のお金を貯めたそうで「あの時間ほど無駄な時間はない」と言ってたみたいですね。他の皆さんも同じ気持ちだったようで簡単に集まったよと言ってましたが、私たちはこのことだけで、十分幸せな気持ちになれました。本当に優しすぎでとろけそうです。 でも、これからが本番。再度渡豪するかは分かりませんが、何か目標を見つけてから行動したいと思います。 #
by aya_kei
| 2006-09-04 13:20
| ○日本
2006年 08月 26日
あと少しで2年間の旅を終了し帰国する事になりました。 2年間で9ヶ国を渡り歩き、沢山の人と知り合い、沢山の町を知り、沢山の刺激を受け、今は満足感いっぱいです。 そんな感動真っ最中の状態ですから、何を書いてもテンションが高い文章になりそうなので、あえて、現実的な事を書こうかなと思います。 渡豪の2年前。新宿の紀伊國屋書店で「ワーキングホリデー徹底ガイド」なる本を読んだ時、ワーホリには最低でも100万円は必要なんて書いてありました。当時短大生だった私にとって、100万円なんて大金を用意する事なんて無理。そうは思ったものの、一度は海外で生活をしてみたいと思ってた私は、学校に通いながらも、暇さえあればアルバイトに明け暮れ、2年後には160万円の貯金を作る事が出来たのです。 しかし実際はワーキングホリデーの1年で100万円なんて必要なかったように思います。というのも、ワーホリは文字通り働く事も出来る観光ビザ。1カ所に3ヶ月以上は働けないものの働く場所は沢山あり、旅をしなければ±0で帰国することも可能なんです。 と言う事で、これからワーホリで来られる方の参考になればと思い、私のオーストラリアでのお財布事情を書きたいと思います。 まずはお給料編。 やはり英語が話せるか話せないかで求人も時給も随分と違います。 一番最初の仕事はシドニーでのジャパレス。お客さんは日本人が多いため、殆ど英語力は問われません。時給は9ドルと平均的ですが、まかないが付くため、これはこれで美味しい仕事です。月給にすると1200ドルくらいで、3ヶ月働いて3600ドル。まぁまぁでしょうか。 次に働いたのは、パースの南方マーガレットリバーでのブドウのピッキング。これは歩合制だったのですが、6時間働いて平均1日60ドル。2ヶ月いましたが、天候や人数により仕事がまちまちで、実際働いたのは32日なので1920ドルほどでした。 そして最後に働いたのがケアンズのホテル。本当なら英語はネイティブなみでないとダメなんですが、ユダさんに紹介してもらい、特別に雇ってもらいました。主な仕事は日本からの観光客のお世話という仕事で時給がなんと15ドル。1日6時間で週5日だったので、月給は1800ドル。3ヶ月で5400ドルも頂きました。 これが私のワーホリ1年間の収入で合計すると10920ドル。日本円で96万円くらい。 普通なら働く期間は6ヶ月以下だと思うのですが、私は旅の途中で既にアジアを旅したいという気持ちがあったので、8ヶ月近く働いていました。 そして次は出費編。 宿は働いている時はアパートを借り、旅している時はバックパッカーという感じでした。アパートメントはシェアが基本ですが、私には旅仲間のケイがいたので、他の人とシェアすることなく2人で常に借りていましたが、2LDKで週150ドルくらいの部屋が多かったです。バックパッカーはドミトリーが基本ですが平均15ドルくらいで、高い宿だと20ドルを超えるところもありました。 次は食事ですが、これは人それぞれだと思います。私たちの場合は外食は週2回までと決めていたので、殆どが自炊でした。自炊と言っても手の込んだ料理は作らず、かなりあっさりした物ばかり。時にはパンのみとか、野菜のみといった時もありましたが、2人ともそこまで味にこだわる方ではなかったので苦にはならなかったです。 そして最後に大事なのが移動費です。 旅をしているんですから、人力以外は全てお金がかかります。私はシドニーからパースまでバスを使いましたが、やはり金額的には厳しい限りです。しかもバスだと色んな町に寄れば寄るほど割高になってしまうので、結局パースで車を購入しました。車は安い物だと500ドルくらいからありますが、車に詳しくない人はそれなりの車を買った方が良いと思います。ちなみに私たちが買った車はHOLDEN COMMODOREという車種で1200ドルでした。一度パンクはしましたが、止まってしまうみたいな事はなかったです。 そんなわけで150万円をもってオーストラリアへ入国し、1年を終え出国する時に持っていたお金は90万円。実際に必要だったのは60万円と言う事です。私たちはツアーを我慢したり、異常なほど節約したりしなかったので、最低60万円もって6ヶ月働けば、十分にワーホリはクリア出来ると思います。 そして今、アジアを8ヶ国まわり、オーストラリアに戻ってきた私のお財布には10万円しか残っていません。 あと、7時間ほどで旅は終わるので、私の旅は成功?だったのかなと思います。 そんなオーストラリア最後の夜の書きこみでした。 最後がこれで良かったのかしら・・・・・ #
by aya_kei
| 2006-08-26 03:17
| □クイーンズランド州
2006年 07月 10日
え~パースってこんなに寒いのぉ~! 1年ぶりにパースへやってきたのですが、シドニー、メルボルン同様に寒い!寒すぎです! ナラボーを超え、そのままサウスウェストを通ってきたのですが、エスペランス、アルバニー、マーガも揃って激寒。あぁ~私たちはオーストラリアの冬を馬鹿にしてたんだなとしみじみと思ったわけであります。 そんな中、私たちと旅を共にしていたバイオ君が天に召されてしまいました。たぶん、一緒にインドまで連れて行ったので、温度差、湿気、衝撃の3拍子でやられてしまったんでしょうね。早速、ユダさんに電話して対処方を聞いたところ、「もうしょうがないからバッテリー抜いて大事に持って帰って来なよ」とのこと。どうやら中のデータは大丈夫そうなので良かったものの、パソコンが壊れた副作用は大きいです。 まずネットを自由にできない。デジカメから写真データを移せない。MP3ウォークマンの曲が変えられない。そして何より大きいのはスカイプができない事。あぁ~もう帰国まで電話はしないと思います。さすがに、公衆電話からかけるほどお金に余裕はないですから・・・。本当に便利になった分、それがなくなると全てが狂ってしまう、現代病?ですね。 さてさて、私たちの旅の時間も2ヶ月を切りました。 とりあえずは正規ルートに戻すため、アデレードまで戻ります。その後はウルルを通ってケアンズまで。予定だと3週間で一気に駆け抜けたいと思っています。 それと報告ですが、アジアで真っ黒になった肌がここ最近白に戻ってきました。凄~く嬉しい限りです。バンコクでは母親に婚期が3年は遅れたなんて言われましたが、確実に薄くなった感じで、このまま行けば日本に帰ってもすんなりと社会に戻れそうな予感です。よしっ、もう絶対日焼けしないぞ!! #
by aya_kei
| 2006-07-10 14:44
| □ウェスタンオーストラリア州
2006年 06月 06日
久しぶりの更新ですね。 私たちの旅もそろそろ最終段階にまで来てしまいました。 思い起こせば、2004年の9月にシドニーに到着した時は、まさかここまで旅をしているなんて思いもしませんでした。英語も話せない状況での渡豪だったのに、いつの間にか、前へ前へと進むバックパッカーになり、パスポートにはオーストラリア・シンガポール・マレーシア・タイ・カンボジア・ベトナム・ネパール・インド・インドネシアのスタンプがペタペタと押されていて、それを見るたびに感慨深い気持ちになってしまいます。 そんな私たちですが、現在はバリ島に潜伏中です。クタ・レギャン地域はサーファーばっかりだったので、ここウブドゥは静かな町でいいですね。農村風景を見ながらバリコーヒーを飲む毎日です。もうダメな人間です。無力です。 しかし、そんなダラダラな生活をして日本に帰ったら、それこそ引きこもりそうなので、今月中旬にシドニー行く事にしました。もう単純に、スタートの地に戻ればどうにかなるだろ的な、アホな考えでシドニー行きを決めたんです。シドニーに着いてからの事は全く考えていませんが、もしかしたら、私たちの思い出の地ケアンズまでラウンドしちゃうかもしれません。 もう風まかせの旅になってしまいましたが、残りの期間もたっぷりと楽しみたいと思います。 待ってろ!シドニー!! #
by aya_kei
| 2006-06-06 14:31
| ■バリ
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